日本未公開映画『アンブロークン』を安易に映画化したアンジーと、”渡邊睦裕”を忘れて映画公開を拒否した日本は、どっちもどっちだろ、という話

反日映画というレッテルを貼られ、未だ日本公開の予定がない『アンブロークン』。アンジェリーナ・”マレフィセント”・ジョリーがメガホンをとった戦争映画です。この作品は日本でも本国アメリカでも様々な批評・批判がなされていますが、原作のどのような点が問題なのか、映画にも問題点があるのかを再確認してみる必要があると思われます。

主人公「ルイス・ザンペリーニ」とは?

小説『アンブロークン』の主人公で、第二次大戦中に日本軍の捕虜として拘束されていたルイス・ザンベリーニ氏は、ベルリンオリンピックの5000m走のアメリカ代表だった人物。(成績は8位)

彼が語った日本兵での捕虜体験を、ローラ・ヒレンブランドが電話インタビューを通して小説にまとめたものが、今回の映画の原作『アンブロークン』。

ザンペリーニ氏は終戦後母国に戻ってからも、日本への憎しみが頭から離れず、心的ストレスに苦しみ、酒浸りになります。その後、南部パブテスト教会福音派の「敵を愛せ」という教えに出会い、時間をかけてトラウマを乗り越えたそうです。

1988年の長野オリンピックでは聖火ランナーとして来日。その際に、彼が捕虜だった時に最も多くの虐待行為を行ったとされている渡邊睦裕氏との面談を希望していましたが、渡邊氏はそれを拒否したと伝えられています。

捕虜たちがThe Birdと渾名した「渡邊睦裕」とは?

渡邊睦裕(わたなべ むつひろ)氏は大日本帝国陸軍の軍人で、捕虜監視員だった人物。捕虜たちの間では”The Bird”という渾名で呼ばれていました。

Wikiを見ると、日本人にしては珍しく、次のような容赦ない書かれ方をしています。

捕虜監視員として東京俘虜収容所本所(大森)、第四分所(直江津)、第十二分所(満島)に勤務。日本軍によって捕らえられた戦争捕虜を虐待していたことで知られる。捕虜たちから「ザ・バード(the Bird)」とあだ名されていた。敗戦後、戦犯として指名手配されるが、連合国軍による占領終結まで逃げ延び、起訴されることはなかった。

Youtubeには戦後にアメリカの番組で行われた渡邊睦裕氏のインタビュー映像が挙げられています。これは長野オリンピックの際にザンペリーニ氏に同行した米CBSが、ホテルオークラでインタビューしたものだとされています。

渡邊氏は重要指名手配戦犯40人中の23番目でしたが、連合国軍の占領が解かれるまで7年間もの間逃亡し続け、起訴を逃れました。逃亡には、元々裕福だった彼の実家の援助もあったと伝えられています。戦後は保険販売で財を成し、都内の高級マンションに住み、海外旅行を楽しみ、2003年に死去するまで裕福に暮らしました。

WiKiにはこんなことも書かれています。

渡邊は捕虜を毎日殴り、鼓膜、歯、のどに重傷を負わせ、泣き叫ぶ捕虜の耳を半分引き裂いた。寒い冬の時期、渡邊は捕虜であるアメリカ軍将校にふんどし一枚で4日間過ごさせた。65歳の捕虜を16日間、木に縛り付けて毎晩部下にその捕虜を殴るように命令した。虫垂切除患者で柔道の練習をした。渡邊は捕虜虐待によって性的快感を得ていた。渡邊は、情緒不安定であり、捕虜を1分間殴り続けた後に、キャンディやタバコを捕虜に差し出した。渡邊は大森収容所の捕虜の中でも特にルイス・ザンペリーニに対し関心を持ち、その理由はザンペリーニが渡邊に対して反抗的だったからである。渡邊はザンペリーニに対して重い木製の梁を37分以上担がせ、それが終わると彼の腹を殴って虐待した。渡邊は捕虜を一列に並ばせ、敬礼をさせ、ミスをした捕虜を殴りつけた。

日本ではこの渡邊睦裕という「逃げ切った戦犯」がほとんど知られていません。戦犯という言葉自体の解釈いろいろはあるにしても、他の日本兵たちからさえも軽蔑されていた暴力看守がまんまと逃げきり、悠々自適に一生を過ごしたという話は醜聞以外の何ものでもありません。しかもインタビューの中で自身が語ってる内容が内容だけに、アメリカから「サイコパス」扱いされるのも無理は無いと思います。

watanabe

軍の命令でザンベリーニ氏を虐待をしたのではなく「私情でやった、フレンドにはならなかった」と認める渡邊氏。しかも”ザンパリーニさん”と名前を間違って覚えています。

戦争中は傍若無人にふるまい、戦後は逃げ回る。当時の帝国軍人と呼ばれた人々の中には、こういった人物が多く存在したのでしょうか。

映画『アンブロークン』に何らかの価値があるとすれば、我々日本人に「渡邊睦裕」という人間の存在を思い出させてくれたことだと思います。過去の人間の行いに現代に人間が罪の意識を感じる必要はありませんが、こういう歴史的事象に目を背けたり、記憶の奥底に葬ってしまったりしてはいけない、そんな気がします。

小説『アンブロークン』が問題視される理由は?

『アンブロークン』が反日映画だと非難されているのには、原作『アンブロークン』のある一節が大きく影響しています。

「殴りつけられ、焼かれ、刺され、棒で殴打されて死に至り、撃たれ、首を切られ、人体実験中に殺され、人食いの風習から生きたまま食われた」

ザンペリーニ氏が証言したわけではない謎の一節。これが他の捕虜の証言から得られたものなのか、作者の推測なのかがはっきりしません。

一節によると

オーストラリアの戦争記念館や公文書館などの資料をもとに、食料不足だった日本軍が病死した兵士の遺体の一部を食べたという事例を報告した田中利幸・広島市立大学教授の英文著作「隠された惨事-第二次世界大戦における日本人の戦争犯罪」が脚注であげられており、田中氏の著作を参考にしたもの
(毎日新聞の記事より抜粋)

だという推測もあります。

→ハリウッド万華鏡:(9)映画よりドラマチックなザンペリーニの生涯
日本人の常識から考えれば捕虜の肉を削いで食べるなど考えられないこと。かつての中国の凌遅刑じゃあるまいし、日本でそんなことはあり得ないのですが、外国人から見れば中国人も日本人も似たようなものなわけで、勘違いをされている可能性は十二分にあります。

この描写を映画でやられたものなら、それこそ大勘違いが世界に広まります。なので、『アンブロークン』の映画化が問題視されたわけです。

どんな映画になるのかは監督の解釈次第ですし、誰もアンジーの常識度など信頼していません。他の有名監督ならいざしらず、何かと突飛な行動が目につく女優が監督を務める映画が、たまたま食人シーンを扱わなかったから良かったものの、まかり間違っておぞましいシーンなどが描かれていたら・・・と考えると、やはりゾッとします。

反日云々以前の問題

この映画は、作品としては特に評価されるようなものではありません。アメリカ本国でも原作の重要なテーマである”贖罪”や”戦争のトラウマからの復帰”の過程を全部省略した「無意味な拷問マラソン」(ニューヨークポスト紙)と批評されるなど、アンジーの監督としての目は低評価を受けています。

この映画の問題点は、良くも悪くも影響力のある有名人アンジーが、信憑性が定かでない原作を、安易に、しかもセンセーショナリズム的に映画化したことにあります。この物語を表面的にとらえ、美談を通じて薄っぺらな平和主義をアピールしようとしたのは、非常に残念というか、所詮はアンジーだな、という感じです。

ザンペリーニ氏が宗教に救われてトラウマを克服したという点のみを見れば、「汝の敵を愛せ」という宗教国らしいテーマで平和を訴える映画ということで評価のしようもあります。戦争のありのままの姿を描くことでアンジェリーナ・ジョリー監督が世界平和を訴えたいと考えているのであれば、今後もそのような映画をつくり続けてほしいものです。ただし、次回はぜひ、広島原爆ものを撮っていただきたい。公平を期するために。

日本での上映は?

さて、では日本で『アンブロークン』上映を拒否し続けてもいいのかという点ですが、これは逆効果だと思います。自分の異見を伝えるには、相手の言い分も聞かなくてはなりません。アメリカでも”冷静な批判”を受けているこの作品を日本人もしっかり観賞した上で反論するべきところは反論すればいいだけの話。今の時代に”映画公開拒否”だなんて、理由は違えども『The Interview』を拒否した北朝鮮と同じようにしか、海外は見てくれないでしょう。

百歩譲って「海外の目なんかどうでもいい」としたとしても、人の意見に全く耳を貸さないで持論を展開するばかりというのは、どこかの政治家みたいでいやだなあ・・・と。

→『アンブロークン』公式予告編(非公式字幕付き)はこちら

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