テレ朝『Qさま!!』(12月1日)で取り上げられた「歴史の新常識60」。観た人もいると思いますが、観なかった人のために全部並べちゃいます。ホントに目からウロコ、っていうか、「昔の教科書ウソだらけじゃん!」という感じです。その中から抜粋して紹介します。
1.コロンブスは新大陸を発見していない

By: Bruce Stokes – CC BY-NC-SA 2.0
1492年にサンサルバドル島に到達しただけ。航海距離を勘違いしてインディアに着いたと思い込んでいた。ひと昔前の教科書では「アメリカ大陸を発見した」とされているが現在では「西インド諸島に到達した」に変えられている。
2.秦の始皇帝は万里の長城を造っていない

By: Daisuke Horie – CC BY-NC-SA 2.0
紀元前3世紀に始皇帝が行ったことは、200年も前からあった各国の壁を1つにつなぎ合わせたこと。万里の長城はもともとは馬除けの土手で、周りをレンガで補強して城壁のようにして使っていた。最近はそのレンガも農民が持って行ってしまうとか。
3.ナポレオンは馬に乗っていなかった
アルプスを越えて戦いに行ったときに乗っていたのはラバ。肖像画は広告用ポスターのようなもので、お抱え絵師に「天才に見えるように」描かせたものだった。しかしその宣伝効果は絶大で、ナポレオンは馬に乗った肖像画だけで出世していったと考えられる。
4.信長・秀吉・家康の「ほととぎす」の句は捏造だった
3人が詠んだという話が伝えられているが、実際には江戸時代の後半にある大名が書いた随筆に載っているだけ。
5.板垣退助の名言は本人の言葉ではなかった
1882年に岐阜で演説をしていた際に暴漢に襲われ負傷したときに言った名言「板垣死すとも自由は死せず」は、秘書の内藤さんが言った言葉だった。板垣退助の回想録には「びっくりして何も言えなかった」と書かれている。
6.日本地図を完成させた人は伊能忠敬ではない
55歳から測量を始めた伊能忠敬が「全国を歩いて日本地図を完成した」とされていたが、完成したのは死後3年経ってから。完成させたのは弟子たちだった。
6.巌流島での決闘、実はリンチだった
宮本武蔵と佐々木小次郎との一対一の戦いだったはずの巌流島の決闘。武蔵は弟子をたくさん引き連れて行って、小次郎をボコボコにしたという。
そもそも巌流島とは架空の島で、実際の島は「船島(ふなしま)」で、武蔵は弟子たちを先に島へ渡らせておいて「自分が負けそうになったら出てくるように」と指示していた。武蔵は小次郎に勝ったが、その後さらに弟子たちが小次郎を袋叩きにした。
7.大名行列はアルバイトだった
大名が力を誇示したいがために、エキストラを雇っていた。江戸時代にも人材派遣会社(口入れ屋)があり、大名たちは町中を歩く時だけアルバイトを増やして、それ以外の道中では20~30人ほどで歩いていた。
「下に下に」で土下座させ、直接見させないようにしたのは尾張藩と紀州藩の場合だけで、その他の多くの大名は誇示するために町人にあえて行列を見物させるようにしたという。
昔と今の教科書では、書かれている内容が変わっているものがたくさんあります。大人になってしまうと教科書を読むこともないので、新知識は自分で取り込んで、アタマの中身を書き換える必要がありますね。